高島易断の歴史

1.高島易断

 
「高島易断」の名称で世に知られる組織は、大正から昭和初期にかけて活躍した高島呑象二世が「高島易断神聖館」として創設。元々は江戸、明治、大正に活躍した実業家であり易学者である高島嘉右衛門が高島呑象と号して易を世に広めた事がはじまりである。嘉右衛門は、易を学問として捉え、表向きに正式な弟子はとらなかった。また高島嘉右衛門の子である長政は事業のみを継ぎ、易学は継いでいない。しかしながら嘉右衛門には門下生がおり、その中のひとりである高島呑象二世が正式に「高島易断」を組織した。その後「高島易断」は三代目として高島象峰に、四代目として高島龍峰に継承されてゆく。
 

2.初代・高島嘉右衛門(高島呑象)

 
1832年11月3日、江戸京橋三十間堀町の材木商兼普請請負業、遠州屋嘉兵衛の嫡子として生まれる。金銀貨取引のトラブルに巻き込まれて投獄され、獄中にて中国の書物である「易経」について勉強。
釈放後、高島呑象として易を世に広め、易により人々を導く。事業家としても高名で、ホテル「高島屋」を建立したほか、鉄道の敷設や日本で初のガス会社なども創立。明治政府の殆どの要人と交流があり、民間人としては初めて明治天皇より「正五位勲四等」を贈られた。
 

3.高島易断総本家 

 
1968年9月1日、「高島易断」は証人立会いのうえ、正式に三代目の高島象峰より高島龍峰に継承された。33歳という異例の若さで高島易断を引き継いだ高島龍峰は、血の滲む努力と、秀でた能力を発揮し、多数の弟子を抱える。 静岡県の日本平の山頂に「高島神社」を創建し、「高島易断総本家」の本拠地とした。 本拠地を静岡に置いて新たな活動期を迎えた高島易断総本家は、政界・財界・芸能界等との深い繋がりをつくり、日本、アメリカ、中華民国(台湾)、シンガポールでも活躍することとなった。
 

4.高島龍峰総裁

 
 
 
正式な「高島易断」四代目の継承者であり、「高島易断総本家」の総裁。幼少時から人相や家相を観る才能に恵まれていた。日本大学中退して本格的な易道修行に入る。 33歳という異例の若さで高島易断を引き継ぎ、総裁という立場をとり、日本だけでなく世界の人々に易理を持って幸せの道を説く。門弟は300人を超え、政治家や文化人芸能人にも信奉者が多い。
 
 
 

師・高島龍峰と弟子・高島龍賢

1:後継者の儀式

2017年9月、東京都新宿にある花園神社の近くの高島易断総本家事務所において、高島龍峰は高島龍賢を後継者として正式に指名されました。

また、その際には、証書、宝刀、玉水晶を譲り受け、引継ぎの儀式を行い、その後すぐに、台湾に行き、9月8日にタイコウフクギビョウ、台湾の林琮學(ハヤシソウガク)先生のところに訪問して、正式に後継者となったことを伝えました。

帰国して10月、毎年行っている高島龍峰開運誕生パーティーを控えた3日に大事をとって病院で検査をしようということになりました。

パーティーのご案内はすでに沢山の方々に出していて、およそ100名の方に参加いただくことになっていましたが、この時は、まさか誕生パーティーが総裁の葬儀となるとは誰も思っていませんでした。

原因は、間質性肺炎と膠原病の合併で進行がとても速かったのです。
息を引き取る際は、生前にとても気にされていたお子様方もいらっしゃってくださいました。
そのお顔は微笑んでいるようにさえ見えるやさしい穏やかなものでした。

葬儀は10月22日、総選挙の日で台風が吹き荒れていました。
いかにも総裁らしい日和で天も総裁の他界を嘆いているようでした。
喪主を後継者である高島龍賢が務め、総裁のお子様方もおいでくださいました。
財界、芸能界からは、沢山のお花を頂戴し、台風にも関わらず、沢山のご友人に参列いただきました。

 

 

2:昭和・平成を生きた偉大な易者・高島龍峰

高島龍峰総裁と高島龍賢との出会いは、龍峰会という、総裁主催のパーティーがきっかけでした。

 

5.高島易断総本家の目的

 
 「人間は自分の運命を変える事が出来る」という高島龍峰総裁の信念のもと、人々を幸運へと導く活動を行う。宗教宗派とは関係ないが、高島易断総本家では、易の始祖である太昊伏羲をお祭りして、天地自然の神を通じ、天地自然の法則、因縁果律に基づいて、人間の営みを正常化し、自然の理にそって解脱、開運してゆく。
 

6.高島易断総本家・歴代肖像

 
 
初代 高島呑象
初代 高島呑象
 
天保3年(1832年)11月3日生まれ、実業家であり易学者。
明治天皇より「正五位勲四等」を民間人としては初めて贈られる。
正式な後継者は取らず、大正3年10月17日没(83歳)
 
 
二代目 高島呑象二世
二代目 高島呑象二世
 
初代の意志を引き継いで呑象二世と号して「高島易断神聖館」を設立して活躍した。
 
 
 
三代目 高島象峰
三代目 高島象峰
 
二代目の意志を継いで活躍していたが、昭和18年に戦争の召集を受け、昭和23年に帰国。
再び三代目として活躍する。昭和42年に難波の宿にて倒れ、高島龍峰に高島易断を継いでもらう事を決意。
 
 
 
四代目 高島龍峰
四代目 高島龍峰
 
昭和43年9月1日付けで、知り合い立会いの上、高島龍峰を正式に高島易断の後継者として認定。
四代目として高島易断総本家の総裁となる。
日本初となる高島神社を創建した。平成29年10月22日に東京の新宿にて、この世を去る。
 
 
 
現代表(五代目) 高島龍賢
現代表(五代目) 高島龍賢
 
平成29年9月1日に、立会人の前にて、高島龍峰の正式な後継者と認定される。
その後、病に倒れた4代目の後を継ぎ、高島易断総本家の現代表となる。